東京都”中央区びと。”に聞く中央区おすすめスポット
中央区観光協会
中央区内の豊富な観光資源を活かし、観光事業の振興によって中央区の魅力を高め、地域の活性化と、誇りと愛着のもてる街づくりに寄与する活動を推進しています。
- ホームページ
- https://www.chuo-kanko.or.jp/
- 住所
- 中央区銀座1-25-3 京橋プラザ3階
- 電話番号
- 03-6228-7907
今田商店
「今田商店の初代店主は、私の曽祖父にあたる今田金三になります」と、四代目・今田健夫さんは話してくれました。東広島市安芸津町にある「富久長」の蔵元、今田酒造本店が、この店の本家で、初代・金三さんのお姉さんが「誠鏡」をつくる中尾醸造の中尾家に嫁いだことをきっかけに、二つの蔵元が親戚関係になりました。そして「富久長」と「誠鏡」を、東京で直接販売するために、新川の地に店を開いたのだそうです。新川は日本橋川と亀島川、隅田川に四方を囲まれ、当時は霊岸島と呼ばれていました。江戸時代の初期に開削された、現在の隅田川に通じる堀割(運河)を新川と呼んだことから、現在の町名となったようです。この新川の開削によって、上方から灘や伏見などのお酒が、樽廻船などで次々と運ばれました。品川沖で伝馬船に積み替えて新川の河岸に揚げられたため、周囲には酒問屋の蔵が立ち並ぶようになったのです。

この頃、江戸っ子たちの大きな関心事となったのが「新酒番船」というレースでした。上方から出帆し、最も早く江戸の新川に着いた船を「新川一番船」として、この船に積まれた酒は一年間、高い値で取り引きされたそうです。初もの好きの江戸っ子にとって、最初に江戸に入った新酒こそが、幸先の良いお酒として好まれたたのでしょう。新川は、こうして歴史ある酒の町として栄えていくのですね。伝馬船から酒樽を下ろした河岸は、埋め立てられて残っていませんが、このまちの記憶を宿した施設や風習などによって、伝承されていくのだと思います。たとえば江戸時代から現在まで、酒問屋に伝わる「新川締め」もその一つ。商談成立を確認する商慣習として受け継がれてきました
酒問屋の守護神として崇敬を集める新川大神宮では、毎年10月中旬に例大祭が行われます。この式典が終わると直会(なおらい)といって、神様にお供えした御神酒や供物を、神職や参拝者でいただきます。この直会には多くの蔵元や酒問屋、酒販組合などが集まり「新川締め」で盛り上がるのです。二人一組で盃に注がれた御神酒をいただくのですが、掛け声と手拍子に続いて、「ゴハン ジョ ヲ ヲー ヲー ウ」(ご繁盛)の掛け声を発すると同時に盃を空にします。但し、二人の呼吸が合わなければ再挑戦することになるのです。今田商店には、この「新川締め」の手拍子を示す拍子書が掲示されています。今田さんによると、店内でイベントなどを開催する際には、ゲストに「新川締め」で締めていただくそうです。


今田商店は、広島に縁のあるお店ですから、広島産の地酒は都内で最も数多く揃えられています。
そして誰もが知るブランド力の高いお酒よりも、あえて知る人ぞ知る、都内にはあまり出回っていない蔵元のお酒を扱っているのだそうです。気になる蔵元には足を運び、お互いを知ることで取引がはじまる。こうして今田商店に揃えられたお酒は、7年ほど前からはじめた角打ちの「地酒の飲み比べ」や蔵元から杜氏さんを呼んでのイベント開催などの機会に、多くのお客さまの目に触れ、その舌を満足させることになるのです。今田商店のホームページには「豊穣と情熱 人をつなぐ 新川の酒屋」という言葉が掲げられています。この言葉に「日本酒を通じて都市と地方を、そして現代の生活と歴史・文化を、さらに生産者の情熱と消費者の喜びとを、つなげていきたい」と願う四代目の信念と覚悟を感じるのです。



